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はかない命

梅雨の晴れ間に・・・短い命の輝き
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by sen1949 | 2011-06-24 16:45 | photo

梅雨

久しぶりの058.gifミヤマキリシマを求めて九重へ
午前5時 目覚めると 天気予報は当たっていた。
薄い雲はあるものの 今日は晴れる!!
急いで準備して5:30牧ノ戸に向けて走り出す。
6:40 駐車場は80%ほど・・ バスも入っている。
6:45 スタート
舗装路を過ぎ木製の階段を上ると 一つ目の展望所
ここで 靴の紐を締め直す。6:55  沓掛あたりまでは ミヤマキリシマももう散り始めている。
扇が鼻へ向かう途中 ピンクに染まった斜面も
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最初の分岐点 今年2月腰までの雪をラッセルしたことを思い出しながら歩を進める。
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扇ヶ鼻への登り南斜面は8分咲きくらいか?
だが扇が鼻に近づくと ほとんど蕾だった。
見ごろは天気次第だが来週かも?
8:10山頂 
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8:35分岐に戻る   8:45星生分岐   8:55非難小屋   9:30久住山頂
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山頂の温度計は22度を指していたがそんなはずはない 体感は13~4度くらいか?
西の斜面にガスが猛烈に上がっている。
しかし 早朝に雲海が出ていたそうで 夕方までは大きな崩れはないと確信する。
9:55 久住別れ
ここから 星生崎を登り  星生に向かう  
硫黄だけが異常に活発な動きをしているのが気がかりだ。
星生崎の登りに2箇所浮石ができていた。 先日来の雨で地盤が緩み誰かが踏んだときに動いたのであろうか?
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星生崎10:15   星生山頂 10:45
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分岐 11:05  牧ノ戸駐車場 12:00下山
好転に誘われての駆け足登山になったが ミヤマキリシマはやさしく迎えてくれた。
足元には 岩かがみ  まいずる草も咲き始めていた。
週末から来週天気が回復すれば もう一度チャレンジ????
今日は 朝早かったので 駐車場にとめることができたが 下山してみると 駐車場は満杯
付近の路上にずらりと並んでいた。
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by sen1949 | 2011-06-11 17:18 | みずからのメッセージ

震災被災者の声

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瓦礫の間を行く老婆
「早く逃げてくださーーい」
 叫びながら 
津波にのまれた女性
おかげで私は命拾いした

   南三陸被災地にて



津波が我家にやってきた
二階に押し上げられたとき
   母の手が離れた
暗闇の水中を
    必死に探す
見つからない
  やがて夜が明け
         潮が引く
冷たくなった母がいた

  石巻渡波の被災者の声より




☆被災者の声石巻渡波黄金浜地区
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by sen1949 | 2011-06-11 13:13 | 震災関連

震災考

☆被災者の声石巻渡波黄金浜地区






車の誘導をする男
  あの車は 私の・・・・・
指さす先は ビルの屋上
  津波に押し上げられた
十八メートルも・・・・・

 牡鹿郡女川町立病院にて


  二階の窓から

ライトを振りながら 叫ぶ人
樹木に架かった 子供がいる
津波が渦巻く
暗闇に消えた

  石巻市渡波被災者の声より


なぜここに お船があるの
船って海に浮かんでいるよね
何が起きたのかわからない少女
うつろは母に 手を引かれていた

  東松島市農村にて


  車の墓場

海岸に通じる道端に
千七百台もの車が整然と並んでいた
津波に殺された車たち
持ち主からも 見放され
寂しそうに 待っていた。

  東松島廃車集積場にて



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by sen1949 | 2011-06-11 13:02 | 震災関連

地震の爪あと

私は 支援の旅 最終日に 地震の爪あとを見た。
5月21日 被災地に踏み込んだ私の目に入ったのは 大津波の爪あとばかり・・・
あの巨大地震でありながら 地震で倒壊したのもはほとんど見当たらない。
いや倒壊したが 津波にさらわれたのかもしれないのだが・・・
日程の最終日 予定していた支援活動は前日までに完了していたので まだ見ぬ 被災地視察を行った。
仙台から 塩釜 松島 東松島を6時間かけて回った。
仙台市内では大きな損傷は見られなかったが 東北大学のキャンパスを通り青葉城跡に向かった
伊達政宗候の銅像の近くにある 巨大な塔の最上部から翼の部分が崩落していた。
 また城跡のいたるところで 崩落が目立つ
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塩釜港に向かう
中央埠頭の南側に入った  液状化が起きたのか?  アスファルトの部分が波打ちうねっている。
護岸のコンクリート部分との落差が激しい。
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2m以上の落差が生じていた
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次に向かったのは 風光明媚な松島海岸
遊覧船の発着岸壁  約10cmほどのずれが見られた。
観光地として復興するのはいつの日か?
宮城県復興の一翼を担う地域なのだが・・ 「早く元気になってください
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東松島市 
津波に襲われた農地 取り残された漁船!  稲が実るのは果たして何時に・・・・
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津波にえぐられた鉄道 復旧する日が来るのだろうか?
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流失は免れたが 全壊に近い状態に  この家の道路を挟んで向かい側は 新築でまだ入居していなかった様子だが 建物は無残な姿に!
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東松島の 車の墓場を最後に 熊本に向けて走り出すが まだまだ非日常の世界から抜け出せない。
ハンドルを握りながら会話がと切れると
悪夢のような まるで地獄絵を見るような光景が脳裏に浮かび 自然と涙がにじむ・・
このような状態で車を走らせるのは危険なのだが・・・
やっと 心にゆとりを取り戻させてくれたのはSAのバラの花だった。
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私は彼らの心情を理解しようと勤めたが おそらく 何も理解できていないのかもしれない。
私は どんなに厳しい環境におかれても 阿蘇に帰れば 日常の生活が待っている。
しかし 彼らにはその日常の生活は何時戻るのか見通しさえたっていないのだから・・・・


瓦礫の間を行く老婆
「早く逃げてくださーーい」
 叫びながら 
津波にのまれた女性
おかげで私は命拾いした

   南三陸被災地にて



津波が家にやってきた
二階に押し上げられたとき
   母の手が離れた
暗闇の水中を
    必死に探す
見つからない
  やがて夜が明け
         潮が引く
冷たくなった母がいた

石巻渡波の被災者の声より



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by sen1949 | 2011-06-05 09:56 | 震災関連

車の墓場

東松島(車の墓場)
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ここは 東松島市 大津波が襲った所!
市街地と 海岸のほぼ中間だ。  海岸を見るつもりで車を走らせていたとき 目に飛び込んできた光景だ。
私は目を疑った。  ぼろぼろになった車が整然と並んでいる。
小さな仮説事務所に行き 担当の女性に事情を聴いた。
「ここは 津波で破損した車を集めて管理している所です」  
「現在1700台ありますが まだまだ一部に過ぎません」  「これからもっとたくさん運んでこられます」
ここに集めているのは 持ち主確認のためだそうだ。  
ナンバープレートがあり 車台ナンバーも確認できる。 持ち主の同意が無いと処分できないという。
現在確認ができた車両は 約200台。。。  これから気の遠くなるような作業が待っている。

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破損した車が次々運び込まれ  確認されれば運び出されて処分場へ・・・
まさに 車の墓場だ。
すでに持ち主のいなくなった車も多いかもしれない。
女川の 仮埋葬現場を思い出した。  人も 車も・・・・ こんなことが・・・
一瞬で日常を破壊し 無残な姿に変えた 大津波!  私たちの生活のあり方を再度考えさせられる事象なのかも?
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by sen1949 | 2011-06-05 09:25 | 震災関連

震災支援活動報告会

震災支援活動報告会会場


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by sen1949 | 2011-06-05 08:49 | 震災関連

震災被災地 女川

3月11日 微震あり しかし阿蘇にいる私は気に留めることもなかった。
それから30分作業を終えて テレビをつけた
。最初は映画の一シーン? かと??
しかしそれは現実だった。  住宅の間に海水が渦巻き 漁船が飲み込まれていく。
暫く画面をじっと見つめ動くことができなかった。
これはえらいことになった。 この状況で現地へ行けるのか?
神戸の時とは大きな違いがあることを悟った。 これは一人で入っても何もできそうにない。
日常塾生 濱田氏が主催する九州ラーメン党(被災地支援を続けるNPOだ)彼らと同行を模索し
やっと現地入りにこぎつけた。
うるさいテレビ取材は目障りだが より効果的な支援のためにはやむおえないと思った。
5月20日~26日まで 気仙沼から石巻での活動の途中 個人宅を訪問すると皆一様に 「女川を見て」なぜだろう!
それは現地に入って理解できた。
今回の被災は広範囲だが その縮図のようなところであることが分かった。
町の高台にある町立病院の駐車場に入った。
テレビで見た映像の通りなのだが その奥に津波の恐ろしさを物語る光景が広がっていた。
3階建てのビルの屋上に持ち上げられた車の持ち主の声を聴くことができた。
また 身元の分からない遺体の仮埋葬地  津波にさらわれ湾外に流失したままの遺体が多いことも・・  高台の病院でさえ2mまで冠水したそうだ。 その跡が生々しく残っている。
2階以上で診療は再開されていたが入院患者の食事は 厨房が機能しないので 民間企業の移動厨房車に頼っていた。
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「あのビルの屋上の車は私の車だ」と話す被災者&支援スタッフ 車の写真は25日投稿に掲載しています
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by sen1949 | 2011-06-02 11:07 | 震災関連